東京大空襲と疎開の村

1945年3月10日は東京大空襲の日
戦争は非道なことばかりなんだろうけど
一般市民を空から焼夷弾で町ごと燃やしてしまうのは
あまりにも残虐な行為だとおもう
大きく燃える火の中で死んでいった多くの方のご冥福を祈り
東京大空襲を忘れてはいけないと改めて思う

その空襲で向島の家を焼かれ
数日を焼け残った他人の家の玄関先で過ごし
結局どうにもならなくなって
遠い親戚を頼って福島県の本宮に疎開した父の話を
今ごろになって聞き直した

その村へ僕は旅をして
大玉村を訪ねた

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駅前には小さな酒蔵があった

子供の分の汽車賃は無くキセル乗車で本宮駅に着いたという
父はここから親戚の馬が荷台を引く馬車?にのって
安達太良山を見ながら大玉村へ向ったんだろうと思う

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父が通った学校は玉井小学校
向島でも玉ノ井小学校だったから
名前は同じ。
偶然だけどなんだか不思議だ

今でも学校はそこにあった
この櫻が咲いているのを当時小学生だった父も見たのだろうか?


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村を回ってみる
牛の世話をしている方にちょっと聞いてみた
「押山さんってこの辺にいらっしゃいますか?」
「いっぺーいるんだ〜」とあたりを指さしながら教えてくれた
よくみると「押山」さんのお宅がいっぱいある
味わったことの無い不思議な気分だった。

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この方は昭和11年生まれの鈴木さん
これまた偶然お聞きした方が父と同窓生だった
父のことは覚えていなかったけど
呑み友達の「本家の押山」がいるから今度聞いとくよと言ってくれた

父はその当時の授業は実習という名前の農作業がいっぱいあったこと
遠足で岳温泉に行ったこと、祖父からもらった定規を学校からの帰り道に落として無くしてしまったこと、それを今でも思い出すこと、自分の名前が安達太良山からつけられたことなどを思い出しながら正月の酒の席で話してくれた。

また行ってみたい僕の遠いルーツでもあるこの村へ


そして今、この町の農業は放射能の影響で作物を出荷できない状態が続いている
これからも多分長い時間、農業のできる状態にはならないと思うだいたい誰も買わないし。
低線量被爆の中で暮らすこと、そしてこれが30年以上続くことを想像しただけで
僕は絶望してしまう。残念でならない。
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by oshiyamatomoyoshi | 2012-03-10 13:20 | 日々の事


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